保存の決まった大川小学校

大川小学校を訪れるのは何度目だろうか。いつも、静かに手を合わせる見学の人たちがいる。前日、石巻市長が遺構として保存する方針を表明した。

道路に近く、献花台がある。ここにも献花が絶えない。 

女川から北に向ったのは2回目に来た2012年の5月だった。このときは所在を知らず、ここを素通りして志津川に向った。
翌年に来たときに初めて大川小学校を訪れた。
大きな衝撃を受けた。以来、北上川を渡るときには必ず寄っている。
いつでも、自家用車やバスで訪れる人たちがいる。地元の宮城、岩手ナンバーだけでなく、もっと遠いところから来ている車もある。

あるとき、枯れた花やゴミを片付けているご遺族の方が「見物人」についてぼやいているのを聞いた。
たしかに、中には目に余る行状の人たちもいるのだろう。慰霊碑の前には、「ここで記念撮影はしないで下さい」という掲示がある。
しかし、大多数の人たちは、幼くして亡くなった子供たちを悼み、慰霊するために来ているのではないのだろうか。
このいたましい経験に学び、教訓とするために来ているのではないのだろうか。

奇しくも前日、市長は遺族感情に配慮して植生で囲った上で大川小学校を震災遺構として保存する方針を表明した。
この方針を歓迎したい。

石巻市釜谷山根 2016年3月27日

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大川小学校パノラマ1
正面が北上川を渡る新北上大橋の東詰。手前は生徒たちが待機した校庭。
大川小学校パノラマ2
円形の校舎入り口と、円弧を描く教室棟。
大川小学校パノラマ3
左の円柱は階段室。倒壊した二階の渡り廊下を経てプールの別棟につながっていた。
大川小学校パノラマ4
右手に屋外円形劇場が見える。ちいさな子供たちにあわせて、低い円形の階段座席がある。
大川小学校パノラマ5
校舎南側に迫る裏山。小径もあり、ここに逃げなかったことが悔やまれる。
大川小学校パノラマ6
左手に遺族の建立した慰霊碑が見える。
市長の保存方針を報じた河北新報 2016年3月27日の報道。