原町区萱浜の津波被災地へ

南相馬市原町区萱浜の海沿いの水田地帯は、津波ですっかり流されていた。自衛隊員が遺体収容の作業を続けている。

送電鉄塔が巨人に踏み潰されたようにひしゃげている。その奥に、鯉のぼりが揚げられていた。「負けないぞ!!」という不屈の意思を感じる。

翌日は市街地から一段低くなった原町区萱浜の津波被災地に向った。
出発に先立ち、旅館の駐車場の線量を調べる。125CPMで、福島市と大差ない。福島原発からの距離は福島市よりはるかに近いが、事故後の風向きが違いをもたらしたのだろう。

原町区萱浜から段丘を下った水田地帯は津波をかぶり、散在する集落が壊滅していた。
海沿いの地域は地名どおり昔は低湿地の「萱の浜」で、市街地から一段低くなっており、この差が津波に対して天と地の違いを生む。
被災から50日ほど経っているが、津波来襲の傷跡は生々しく、言葉を失う。

* 津波浸水区域標高
国土地理院の報告書によれば、南相馬市は福島県の中でもっとも標高の高い地域(10m以上)まで津波で浸水している。
ただし、7割弱の浸水地域は標高6m以下である。
萱浜地区の浸水高については、愛原で8.1mという数字が見つかった。

南相馬市原町区萱浜 津波被災地 2011年5月1日

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南相馬市線量
宿舎の駐車場の線量は、福島市内とほぼ同等だった。
南相馬市内
市内を津波被災地に向う。中央左寄りに自衛隊の車両が駐車している。
原町区津波被災地 捜索する自衛隊員
海沿いの津波被災地に展開する自衛隊員。手前には水路のU字溝が流されてきている。
原町区津波被災地 捜索する自衛隊員
遺体捜索はつらい任務だ。
原町区津波被災地パノラマ1
捜索が終わると、瓦礫を積み上げ、旗を立てる。青旗と白旗は「捜索終了」、赤旗は「ご遺体未収容」の意という。遠くに重機も見える。
原町区津波被災地パノラマ2
左の写真に続き、以下、右へパノラマ撮影。
原町区津波被災地パノラマ3
木造家屋は、基礎と床板を残してすっかり流されている。
原町区津波被災地パノラマ4
右手奥は坂道を登って高台になっており、家が残っている。